大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和44年(ワ)6848号 判決

原告 中村博

〈ほか二名〉

右原告三名訴訟代理人弁護士 馬場正夫

同 武田渉

被告 有限会社天野屋

右代表者代表取締役 西山勝一

右訴訟代理人弁護士 小田良英

同 津田茂治

主文

被告は、原告中村聡子に対し、金五五七、五一一円及び内金五五四、一六二円に対する昭和四四年七月二日以降、内金三、三四九円に対する昭和四六年四月二三日以降各完済に至る迄年五分の割合による金員を、原告中村博に対し金二四、〇〇〇円及びこれに対する昭和四四年七月二日以降完済に至る迄右同割合による金員を、原告中村順子に対し金四〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四四年七月二日以降完済に至る迄右同割合による金員を、それぞれ支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、原告中村聡子において金一八万円の、原告中村博において金五、〇〇〇円の、原告中村順子において金一万円の、各担保を供するときは、それぞれ仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告中村聡子に対し金一、六三五、六一二円及び内金一、六二九、五六三円に対する昭和四四年七月二日以降、内金六、〇四九円に対する昭和四六年四月二三日以降各完済に至る迄年五分の割合による金員を、原告中村博に対し金五万円及びこれに対する昭和四四年七月二日以降完済に至る迄右同割合による金員を、原告中村順子に対し金七万円及びこれに対する右同割合による金員を、それぞれ支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

「一(一) 原告博と同順子は夫婦であって、同聡子は昭和三九年五月二九日右博と順子間に出生した長女である。

(二) 被告は肩書地において通称天野屋ホテル(以下本件ホテルという。なお、その間取等は別紙平面図のとおりである。)という温泉旅館を経営するものであり、本件ホテルは所謂水上温泉の中心街に存在している。

二 原告博、同順子夫婦は昭和四三年八月一八日その長男中村明宏(当時九才)及び原告聡子(当時四才)を伴い本件ホテルに投宿し、同ホテル一階鶴亀の間に一泊した。

ところが、原告聡子は、翌一九日午前九時少し前頃鶴亀の間を抜け出て同部屋に隣接する階段を昇り、二階大広間に遊びに行ったところ(当時各階段の昇り口及び大広間の入口はいずれも通行自由で何の障害物、遮蔽物もなく、また立入禁止の標識も常時施されていなかった。)、午前九時頃大広間の舞台と反対側の窓(以下本件窓という)(当時その硝子戸は開けられていた)から約八メートル下の公道(幅約四メートル。未舗装砂利混りの道路)に転落し、これがため、頭部外傷、全身打撲、顔面擦創、前額部挫創、右口角部挫創、頭蓋骨骨折の傷害を受けた。

原告聡子は同月二〇日日本赤十字社中央病院(脳神経外科)に入院し、当時かなり重篤な状態にあり、右動眼不全麻痺が見られたが、その後幸い経過は順調で脳波検査は現在のところ異常は認められないけれども、なお一年に一度の定期診断を求められており、右口角部挫創については適当な機会に再度手術を必要とする状態にある。

三 ところで、本件窓は幅が二・七二七メートルあり、腰板の高さは僅か三八センチメートルに過ぎないのに、本件窓には手摺、柵等が全然なく、右腰板の上方約四〇センチメートルの高さのところに明らかに物干竿代用と目される鉄の棒が一本外に張り出し窓際に沿って設置されているのみで、これは何ら転落防止の役に立たず、原告聡子のような子供(なお、当時同原告の身長は一・一〇メートル、膝迄の高さは三〇センチメートル、股迄の高さは五〇センチメートルであった)は勿論大人でも何ら遮るものもなく転落する危険が十分にあった。

従って、右のような本件窓の状態は、多数の宿泊者が常時利用する温泉ホテルの大広間として最少限設備すべき危険防止の施設を欠いていたものといわざるをえず、本件事故は民法第七一七条第一項に所謂「土地ノ工作物ノ設置又は保存ニ瑕疵アルニ因リテ」発生したものというべきであるから、被告は、右同条の規定により、本件ホテルの占有者として本件事故のため原告らが蒙った損害を賠償する義務がある。

四 原告は本件事故により次のとおりの損害を蒙った。

(一)  原告聡子について(以下特に断わらない限り本訴提起迄に支払ったもの)。

(1)  本件事故当日水上町長沢医院に支払った治療費。金七、四〇〇円

(2)  日本赤十字社中央病院に支払った入院、治療費等。合計金六七、七〇三円

(3)  右病院に通院等のため支払った交通費。合計金一四、四六〇円

(4)  右病院に入院中の付添費用。金二〇、〇〇〇円

(5)  留守番を頼んだ者に支払った謝礼金。金二〇、〇〇〇円

(6)  本訴提起後の昭和四五年一〇月以降同年一一月迄の間に右病院に支払った治療費。合計金二、四四九円

(7)  右の期間内に右病院に通院のため支払った交通費。合計金三、六〇〇円

(8)  慰藉料金一、五〇〇、〇〇〇円

以上総計金一、六三五、六一二円

(二)  原告博、同順子について。

(1)  休業より得べかりし利益の喪失。(原告博は注文洋服仕立業を営んでおり、原告順子も右の営業に従事しているものであるが、本件事故のため休業を余儀なくされた。)

(イ)  原告博の分。金二〇、〇〇〇円(一日金二、〇〇〇円の割合で一〇日分)

(ロ)  原告順子の分。金四〇、〇〇〇円(専従者給与一ヶ月金二〇、〇〇〇円の割合で二ヶ月分)

(2)  弁護士費用。(被告は、原告らからの再三に亘る本件事故による損害賠償の請求にもかかわらず、全くこれを無視し返答もしなかったので、原告らはやむなく弁護士馬場正夫に依頼して本訴提起に及んだ次第であるが、原告博、同順子はその報酬として同弁護士に金六〇、〇〇〇円を支払った。)原告博、同順子の分各三〇、〇〇〇円宛。

以上合計(原告博)金五〇、〇〇〇円、(原告順子)金七〇、〇〇〇円

五 よって、被告に対し、原告聡子は、金一、六三五、六一二円及び内金一、六二九、五六三円に対する訴状送達の翌日の昭和四四年七月二日以降、内金六、〇四九円に対する昭和四六年四月二二日付準備書面交付の翌日である同月二三日以降、各完済に至る迄年五分の割合による遅延損害金の、原告博は、金五〇、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日の昭和四四年七月二日以降完済に至る迄年五分の割合による遅延損害金の、原告順子は、金七〇、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日の昭和四四年七月二日以降完済に至る迄年五分の割合による遅延損害金の、各支払を求める。」

と述べた。

被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「一 請求原因第一項(一)記載の事実は不知、同項(二)記載の事実は認める。

二 同第二項記載の事実のうち、原告らを含む四名がその主張の日に本件ホテルに宿泊したこと、原告聡子が転落事故により負傷したこと、当時各階段の昇り口が通行自由で何の障害物、遮蔽物もなく、また立入禁止の標識が常時施されていなかったことを認め、大広間の入口に障害物、遮蔽物がなかったこと、本件窓の硝子戸が開いていたことは否認し、その余は知らない。(当時大広間は障子で閉め切ってあり、また本件窓の硝子戸には二ヶ所に錠がかけられていた。)

三(一) 同第三項記載の事実のうち、原告聡子の身長、膝迄の高さ、股迄の高さは不知、その余は否認する。(本件窓の幅は四・五二メートルであり、腰板の高さは四〇センチメートルであって、公道から腰板の上部迄の高さは約七メートルである)

(二)  本件窓には腰板の上部から四〇センチメートルの高さの所に転落防止のための窓枠(又は手摺)が設けられており、安全性は確保されていたのであって、この種の窓枠は他の多数の旅館にも見られるところであり、被告は当局の承認のもとに長年にわたって旅館営業を続けて来たのであるから、本件ホテルには原告ら主張のような瑕疵はない。

(三)  従って、仮に原告聡子が原告ら主張のように本件窓から転落したとしても、前記のように当時大広間の入口は閉め切りになっており、原告らはその使用を許されていなかったのにもかかわらず、原告聡子を保護監督すべき義務のある原告博、同順子は、その義務を怠り、当時三才の原告聡子を放置し、被告に無断で大広間に入り込ましめたために本件事故が発生したものであって、もっぱら原告側の重大な過失によるものであるから、被告には何らの責任もない。

四 同第四項記載の事実は否認する。但し、原告らが本件訴訟事件の報酬として馬場弁護士に支払ったという金六〇、〇〇〇円が相当額の範囲内のものであることは争わない。

五 仮に、被告に本件事故につき損害賠償の責任があるとしても、前記のように原告博、同順子には原告聡子を監督すべき義務を怠った過失があるから、損害賠償の額を定めるにつき右の過失を斟酌すべきである。」

と述べた。

立証≪省略≫

理由

一、原告博と同順子が夫婦であって、同聡子が昭和三九年五月二九日右博と順子間に出生した長女であることは≪証拠省略≫により認めることができ、被告が肩書地において天野屋ホテルの通称で温泉旅館を経営し、同ホテルが所請水上温泉の中心街に位置し、その間取等が別紙図面のとおりであること、原告博、同順子夫婦がその長男の中村明宏(当時九才)及び原告聡子とともに昭和四三年八月一八日本件ホテルに投宿して同ホテル一階鶴亀の間に一泊し、翌一九日原告聡子が転落事故により負傷したことは当事者間に争がない。

二、次に、≪証拠省略≫を綜合すれば、前記のように本件ホテルに一泊した原告らが昭和四三年八月一九日の朝九時頃帰えり仕度をしていた際、原告聡子(当時満四才)は、兄の明宏とともに、鶴亀の間を出て同部屋に隣接する階段を昇り、二階の大広間に遊びに行き、誤って本件窓からその腰板の上部より七・三六メートル下の未舗装、砂利混りの道路に転落し、頭部外傷、全身打撲、顔面擦創、前額部挫創、右口角部挫創、頭蓋骨骨折の傷害を受けたこと、当時大広間の入口には障子があったけれども、それは開いており、また、右の入口及び前記階段の昇り口には別段立入を禁止する旨の標識はなく(この標識がなかったことについては当事者間に争がない)、更に本件窓の硝子戸は開けられていたこと、本件窓は、高さ(縦)が九八センチメートル、幅(横)が三・五五メートルで、中央に柱があり、腰板の高さは四〇センチメートルに過ぎないところ、腰板の上部から四〇センチメートルの高さの所に手摺が設けられていたが、これは直径三センチメートルの鉄製の棒が一本本件窓に添いこれより約二四・五センチメートル張り出して設けられているのみであったこと、従って、子供は勿論大人でも本件窓から通路に転落する危険が十分あり、右の手摺は殆んど転落防止の役に立つものではなかった(なお、現在は右の手摺に腰板の上部の所迄約一五センチメートルの間隔で縦棒が嵌め込まれている)ことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

右認定の事実によると、老人、小供を含む多数の休憩者、宿泊者が利用する温泉旅館として本件窓の右のような危険な状態は正に民法第七一七条第一項に所謂「土地ノ工作物ノ設置又ハ保存ニ瑕疵アル」場合に該当するものといわざるをえず、従って、被告は、本件ホテルの占有者として、右同条の規定により、原告らが前記転落事故のために蒙った損害を賠償すべき義務を免れないのであって、他に右事故当時の本件窓の手摺と同様の設備の旅館が多数存するとか、被告が本件ホテルの構造、設備につき監督官庁の承認を得ているとかの被告主張の事実は右の結論に直接影響を及ぼすものではない。

三  そこで原告らの蒙った損害について順次検討することとする。

(一)  原告聡子について。

(1)  ≪証拠省略≫を綜合すれば、原告聡子は、前記事故後長沢医院で治療を受け昭和四三年八月二〇日治療費として金七、四〇〇円を右医院に支払い、その後日本赤十字社中央病院において入院治療を受け、右同日以降昭和四四年四月迄の間に入院料、治療費として合計金六六、七六二円を、昭和四五年一〇月以降同年一一月迄の間に治療費として合計金二、四四九円を、それぞれ右病院に支払い、また、同年一〇月中右病院に通院のため合計金九〇〇円のタクシー代を支出したことが認められるけれども、その余の治療費及び交通費並びに入院付添費及び留守番謝礼(なお、この留守番謝礼が原告聡子の蒙った損害といえるかは問題である)についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

(2)  ≪証拠省略≫を綜合すると、原告聡子は、前記負傷をして日本赤十字社中央病院に入院した昭和四三年八月二〇日当時意識障害があって、重篤な状態にあり、右動眼神経不全麻痺が見られたが、その後順調に回復に向い、同年九月七日右病院を退院した当時神経学的には殆んど異常が認められなかったこと、脳波検査の結果は、同月二日の検査では異常がなかったところ、同年一〇月二五日の検査では異常が認められたが、昭和四四年四月九日の検査では殆んど正常に復していること、しかしながら、現在なお、原告聡子の口角部、額の生え際、右目の下に傷痕が残っており(同原告の両親らは将来その整形手術を希望している)、風邪をひいたり、疲れたりすると右目の附近が黒ずんでくること、が認められ(なお、原告博、同順子は、原告聡子が本件負傷後夜尿症になったと供述し、≪証拠省略≫には、右の夜尿症と本件傷害との間に因果関係が認められないでもないような記載があるけれども、その表現自体からも、右の因果関係の存在を認めるための確証となし難い。)、右認定の事実に原告聡子の年齢等を斟酌すれば、同原告に対する慰藉料の額は一応金六〇万円をもって相当と考えられる。

(二)  原告博、同順子について。

(1)  ≪証拠省略≫を綜合すれば、被告は、原告らからの本件事故による損害賠償の請求に対し、本件事故についての責任を全面的に否定して、原告らの請求を拒絶したので、原告らはやむなく弁護士馬場正夫に本件訴訟事件の提起、遂行を依頼し、原告博、同順子は昭和四四年五月二一日その報酬金として同弁護士に対し金六〇、〇〇〇円を支払ったことが認められ、右の金額が本件訴訟事件の報酬金額として相当額の範囲内のものであることについては当事者間に争がない。

(2)(イ)  原告博本人尋問の結果によると、同原告は注文洋服仕立業を営んでいることが認められ、同原告が本件事故のため何日かは休業を余儀なくされたものと推測できないわけではないけれども、それが何日間であるかについてはこれを認めるに足りる証拠がないから、同原告の休業による逸失利益の額も認定するに由ない。

(ロ) ≪証拠省略≫を綜合すれば、原告順子は、同博の前記営業の手伝をしており、昭和四三年当時一ヶ月少くとも金二〇、〇〇〇円の収入を得ていたところ、原告聡子が前記のように日本赤十字社中央病院に入院中終始これに付添っており、またその退院後も同病院への通院に常に同行していて、本訴提起に至る迄の間通算少くとも一ヶ月間右の仕事に従事することができず、これがため少くとも金二〇、〇〇〇円の収入を挙げることができなかったことが認められるけれども、原告順子において右のように仕事を休まざるをえなかった期間が原告ら主張のとおり二ヶ月に及んだことについてはこれを確認するに足りる証拠がない。

四  ところで、元来本件ホテルのような温泉旅館を利用する者は一般に休養、娯楽を目的とするものであるから、これらの者に対しいちいち旅館の設備構造等に細心の注意を払うことを要求するのは難きを強いる感がないわけではないけれども、やはり利用者の側においても事故が発生しないよう相当の注意をすべきものと考えられるところ、≪証拠省略≫によるも、右原告両名は、本件ホテルを出る前の匇匇の間であったとはいえ、当時四才の原告聡子と九才の明宏の両名のみを放置しているのであって、結局原告聡子に対する保護、監督の義務を怠った過失があるとの譏を免れないであろう。

従って、右の過失を斟酌して本件事故による損害賠償の額を算定すれば、原告聡子については慰藉料の額を金四八〇、〇〇〇円とし合計金五五七、五一一円、同博については金二四、〇〇〇円、同順子については金四〇、〇〇〇円とするのが相当である。

五  以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告聡子において、金五五七、五一一円及び内金五五四、一六二円に対する昭和四四年七月二日以降、内金三、三四九円に対する昭和四六年四月二三日以降各完済に至る迄年五分の割合による遅延損害金の、原告博において金二四、〇〇〇円及びこれに対する昭和四四年七月二日以降完済に至る迄右同割合による遅延損害金の、原告順子において金四〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四四年七月二日以降完済に至る迄右同割合による遅延損害金の、各支払を求める限度で理由がありこれを認容することができるけれども、その余は失当として棄却を免れない。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、それぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 真船孝充)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例